熊谷正寿:『失敗を恐れてはいけない。失敗にこそ成功の芽は潜んでいる』
起業家人名図鑑

あ行
穐田誉輝(カカクコム)
浅野秀則(フォーシーズ)
稲盛和夫(京セラ)
井深大(ソニー)
岩元貴久(ロックノーブル)
宇野康秀(USEN)
小川善美(インデックス)
小倉昌男(ヤマト運輸元)
折口雅博(グッドウィル)
か行
神田昌典(アルマック)
熊谷正寿(GMO)
くらたまなぶ(あそぶとまなぶ)
近藤太香巳(ネクシィーズ)
さ行
斉藤一人(日本漢方研究所)
澤田秀雄(H.I.S.)
鈴木敏文(IYグループ)
関口房朗(VSN)
孫正義(ソフトバンク)
た行
高橋滋(カシータ)
な行
中島武(際コーポレーション)
南部靖之(パソナグループ)
野尻佳孝(テイクアンドギフ・゙ニーズ)
は行
畠中平八(タヒボジャパン)
平野岳史(フルキャスト)
ビル・ゲイツ(マイクロソフト)
藤田晋(サイバーエージェント)
藤田田(日本マクドナルド)
本田総一郎(本田技研工業)
ま行
増田宗昭(カルチャーコンビニエンスクラブ)
松下幸之助(松下グループ)
三木谷浩史(楽天)
森下篤史(テンポスバスターズ)
盛田昭夫(ソニー)
や行
安田佳生(ワイキューブ)
柳井正(ファーストリテイリング)
わ行
渡邉美樹(ワタミ)
・リンク集
・店舗案内


サイトに訪れたあなただけに
3つの無料特典をプレゼント!
今なら無料で手に入れることができます。


やずや式マーケティングの秘密
お金持ちになるための101の格言
書けば書くほど夢が実現するシート


top > 熊谷正寿(GMOインターネット株式会社代表取締役)

熊谷正寿-GMOインターネット株式会社

 

熊谷正寿氏プロフィール


熊谷正寿氏は、1963年長野県生まれ。東証一部上場企業GMOインターネット株式会社を中心とするGMOインターネットグループ25社、約1,600人の従業員を率いるベンチャー起業家。

1999年に「独立系インターネットベンチャー」として国内初の株式店頭上場。同年に連結子会社「株式会社まぐクリック」設立、代表取締役就任。翌年には同社を、創業364日という当時の日本史上最短上場記録でナスダックジャパン(現:ヘラクレス)に上場。2005年4月には連結子会社「GMOペイメントゲートウェイ株式会社」が東証マザーズにGMOインターネットグループ、3社目の上場を果たす

1991年
5月、株式会社ボイスメディア(現GMOインターネット株式会社)設立 代表取締役就任。
1999年 8月、株式店頭公開 (証券コード 9449)
「大資本に属さない独立系のインターネットべンチャー」として国内初
2000年 9月、連結子会社「まぐクリック」ナスダックジャパン(現ヘラクレス)に上場させる。
創業364日(当時、日本史上最短上場記録)
2003年 11月、日本の代表的なベンチャーを集めたJASDAQ「J-Stock銘柄」に選定される。
2004年 2月、東京証券取引市場第二部に上場
2005年 4月、連結子会社「GMOペイメントゲートウェイ」を東京証券取引所マザーズ市場に上場させる。GMOインターネットグループとして3社目の株式上場
  6月、東京証券取引市場第一部に上場
  12月、連結子会社「GMOホスティング&セキュリティ」を東京証券取引所マザーズ市場に上場させる。GMOインターネットグループとして4社目の株式上場


 熊谷は1963年7月、長野県に生まれた。彼の父は、パチンコ、飲食店、映画館、不動産事業と次々と事業を拡大していった実業家である。そういう意味では、熊谷には、実業家の血、遺伝子が流れている。父の食事の時の会話などは、商売の会話とか対人関係の調整の仕方であったり、そんなことをよく教わったという。
 母方の祖母は、隻腕の美剣士といわれた、心形刀流の幕末の剣の達人、伊庭八郎の系譜だ。祖母は、そういう武士の家庭に育っていたので、生活態度や躾には非常に厳しい人だった。挨拶にも厳しいし、扉の開け閉め一つとっても厳しかった。熊谷の一糸乱れぬ礼儀正しさは、この辺からくるのかもしれない。他方、祖父は、原敬(元首相)の側近の政治家だった。
 だから、熊谷の遺伝子、DNAには、父の商売の血、祖父の政治家の血、祖母の武士の血が、色濃く流れている。
 余談になるかもしれないが、心形刀流の伊庭道場は「練武館」という。あまり聞いたことがない流派かもしれないが、幕末期には千葉周作の北辰一刀流、神道無念流、鏡新明智流と並ぶ江戸四大道場の一つで、ここの10代目を継ぐはずだったのが「隻腕の美剣士」などとも言われた伊庭八郎。門人は千人を超えたともいう。
 今、この心形刀流の目録は、京都・東山のりょうぜん霊山歴史館(松下電器の創業者の松下幸之助が創建)で見ることができる。幕末維新の志士の展示では、日本一といっても過言ではない。この歴史館の上の山に坂本竜馬や桂小五郎(木戸孝允)などの眠る墓地がある。
 心形刀流はまず心の修養を第1とし、技の修養を第2とする。心が未熟であれば、どんな技も乱れてしまうというもので、流派の名前もそこから来ている。
 伊庭八郎が、剣術に目覚めたきっかけは、宮本武蔵の書を見たからだといわれている。少年時代は、「伊庭の小天狗」といわれ、後に幕府遊撃隊長となって、転戦した。「性は温厚だが、鉄をも貫きとおすような烈剣をふるう」と言われた。
 この熱い血が、熊谷には、まさにその正統のように流れているようだ。
 小学校時代、中学校時代のことを聞いた。
「1人旅をよくしました。親が喜んでくれる顔を見るのが、すごく好きで、親を喜ばせたくて、驚かせようと色んなことやりました」
「小学生のときはあんまり勉強できなかったですね。中学校のときも、一夜漬けのタイプでした」と笑みをこぼす。
 たとえば、こんなことがあった。
 中学校の進路相談のとき、2年の夏だった。担任の先生に職員室へ呼ばれ「どこの学校へ行きたいんだ?」と。
 渋谷の青山のイメージが気に入っていたので「青学か国学院大学付属に行きたい」といった。
 ところが、返ってきた答えはこうだった。
「おまえが、行けるわけないじゃないか、自分の偏差値考えろ」と。しかも、その先生は「そう思いませんか?」と周りにいた先生に「熊谷が、こんなこといってるんですよ」と。周りにいた先生が「そりゃ無理だよ、熊谷、ハハハ」と彼の方を見ていったのだった。
 こうなると、熊谷の中に眠る伊庭家の血が騒いだ。熊谷は「必ずやってみせる!」と唇をかみしめた。
 夏から暮れまで、数ヶ月間毎日必死で勉強した。睡眠時間もろくにとらなかった。
「死ぬほど勉強しました。教科書丸ごと一冊覚えた。本当にそれぐらい勉強しました」
 その時受けたのが、國學院大學付属國學院高校だった。なんと、首席で入ってしまった。しかも、全部満点。学年総代にもなった。
 が、そこまでは良かったのだが、その後がよくなかった。
「俺はやればできるんだ!」とつい鼻が高くなって、油断してしまった。いい気になっていたら、600人の中で1番だったのが、500番台にまで落ちてしまい、段々、先生たちから冷たい目で見られるようになってしまった。
 結果的に、学校が嫌になってしまい、熊谷は2年の夏頃、退学してしまった。
 その後、熊谷は様々なアルバイトやディスコのDJなどをして働いていた。
そんなある夜、両親の会話が聞こえた。
「困った。どこどこのお店の店長さんが辞めて、運営が難しくなったという話をしてたんですよ」
その時、なぜかパッと目が覚めて、襖の向こうで、両親は話をしていたのだが、ガラガラと襖を開けて「親父それ俺がいくよ」と何故か言ってしまったのだった。心が動いた。
話を聞くと、そのお店は、売上を大きく落していた。熊谷は、自分が代わりに長野に行って、お店を立て直してみせると宣言した。
 そこから、熊谷の人生が大きく変わった。父の会社に入って、店を立て直しして、将来は、その経営幹部になる方向で、熊谷の人生は走り出した。
 まだ18歳前後の年端もいかない若者だったが、打てる限りの手をすべて打った。その間、掃除などの雑用からはじまって、釘の調整まで手掛け、従業員教育をやり直し、景品もグレードアップした。するとみるみるうちにお客さまが戻ってきた。
 店は再生し、再び儲かる店になった。「パチンコ店のお客様は、店長が交代したと聞くと、玉を出してくれるんじゃないかと期待するものなんです」。
 その期待に応えて、熊谷は、お店のムードを一新した。それが勝因だった。熊谷は、社会人になってから、最初の大きな成功体験をした。熊谷の中に自信が芽生えた。

 20歳で結婚し、21歳の時にはすでに、娘も産まれた。働きながら放送大学で勉強もした。21歳で夫、父親、学生、社会人とひとり4役の生活を送っていた。仕事は朝から晩まで忙しかった。
 色々なことが起こった。父の会社を上場させたいとも思ったが、当時様々な壁もあった。
そんな中、将来に対しての明るいイメージを持つことができなくなっていた。すごく焦ってもいた。
(いったい、こんな生活でいいのだろうか、と・・・)
 ある時、熊谷は、自分の未来について考えてみようと思い直した。目標を文字で書きあらわすことにした。35歳までの15年分の未来年表を作った。
 健康、心、家庭、社会、仕事・・・といくつかのカテゴリーに分け、人生ピラミッドをつくり、夢のリストである「やりたいことリスト」を作り、実現すべき目標をひとつひとつ、書き込んでいった。幸せと成功という二つが、最終的なキーワードとなった。
 社会・仕事の欄には『どの分野でもかまわない。必ず圧倒的ナンバーワンになる』と記した。幸せとは、何かも徹底的に考えた。
 夢を持つことで、日々の現実の苦しさから救われた。
将来何をしたいのか?どうなりたいのか?人生の究極の目的は何なのか?
「最終的には、世の中の人のためになりながら、自分の思った通りの人生を作っていきたい。それが私にとっての幸せ」だと確信した。
 自分の会社を作ろうと思った。そのために、自己改造を図った。

 熊谷は、夢の実現に向かって、さらに身を粉にして働き続けた。
給料のほとんどを預金して、自力で会社を設立するための資金に回した。
 1991年5月、28歳の時に、ついに『ボイスメディア』というGMOの前身となる自分の会社を創業した。電話とパソコンの技術を組み合わせた電話会議装置の開発会社だった。
 最初は儲かったが、数年後、電話会議システムからは撤退することにした。利益は出ていたけれど、このまま続けていても、いずれ駄目になると予測した。実際、その通りになった。この時、仕事というのは、始める時よりも、撤退を決断する時のほうが難しい、撤退する勇気の大切さを学んだ。同時に、この事業を通じて、ITとパソコンの魅力と可能性を感じた。
 1995年、32歳の時、インターネットのプロバイダー事業に踏み出した。
それまでのものとはまったく違うビジネスモデルにした。
 インターネット草創期のプロバイダーは、いずれも会員制の年間契約で、前払いが普通だった。その上、会員になってからも接続までに1ヶ月近く時間がかかるものだった。そこで熊谷は、もっと簡便なやり方にしたのだ。水道やガスのようにだれでも簡単に接続できることがインターネット普及の要件だと考えたからだった。
 熊谷は、NTTの担当者と話をし、ユーザーが会員登録しなくとも、インターネットに接続した時間に応じて料金を払うシステムを実現した。料金は後払い。徴収するのはキャリアである電話会社にお願いした。それが世界にも類のない非会員制のインターネット接続サービスだった。
 それをインターキューオリジナルと名づけ、宣伝した。すると、ビジネスを開始したとたん、問い合わせが殺到して、インターキューは、ベンチャー系では日本最大のプロバイダーになることができた。
「プロバイダー事業」が軌道に乗りはじめた1997年、熊谷は、次に手掛けるべき商材を探しにシリコンバレーに出かけた。そこで出会った商材が、「レンタルサーバー事業」と「ドメイン登録事業」だった。
 当時、国内では、レンタルサーバーの値段は月額十万以上と高価でかつ、専門用語が理解でき、ある程度技術が分らないと利用が難しいサービスがほとんどだった。
 また、ドメイン登録も初期費用数万〜数十万。ドメインの維持という名目で、月に数万円も顧客に請求している事業者がほとんどだった。
両方とも、非常に一般の方には、わかりづらいサービスだった。
 帰国後直ちに「安価で簡単」というコンセプトで、レンタルサーバーの開発を行い、サービスをスタートした。値段を相場より劇的に下げ、ドメインについては、サーバーを利用する場合には、無料でサービスした。おそらく世界で初めてのことだったろう。
 お客様には専門用語は使わず、誰にでも「独自ドメイン」のウェブサイトを簡単にもてるようにした。
 目論みが当たった。大ヒットとなった。数千社の法人に利用してもらえた。現在では、GMOグループのレンタルサーバーは約11万法人が利用し、日本最大のレンタルサーバーの会社になった。
 そして、1999年8月、熊谷は独立系インターネットベンチャーとしては初の株式店頭上場に成功した。36歳と1ヶ月、夢はかなった。

 当時、会社を作って10年以内に上場できる確立は1千万分の17といわれた。
それが実現できたのは、15年計画をたて、若い頃から夢を持って、夢に向かってがむしゃらに努力してきたからだと考えた。
 熊谷にとって、上場はゴールではなかった。
 社員が上場準備で忙しい時、熊谷は、ひとり夏休みをとって、新しい未来年表を作成した。それまでの未来年表が途切れてしまうのが嫌で、新しい年表を作ることにしたのだった。その未来年表は55年計画にした。
 なぜ55年かというと、一つには、熊谷が90才までは精一杯、仕事をしてやろうと考えたこと。二つめの理由は、太陽の活動サイクルは11年周期だという自然のサイクルから、55年という数字をはじき出した。ある経済アナリストの本を読んだことがきっかけだった。太陽活動が活発になると人間の行動にも影響が出てくるという。熊谷は、その考え方に、直感的に賛同した。
 その計画では、最終的には売上が10兆円、従業員は20万人の会社になる。
「それは夢ではありません。絶対に実現させるつもりです」と明言する。
単なる夢ではなく、計画なのだ。
 その後、証券市場は悪化し、ITベンチャ―の株価も下がる一方となった。インターネットバブルが崩壊してしまったのだ。その大波は熊谷の会社にも押し寄せた。しかし、全力で生きぬき、生き残った。
 なぜ生き残れたのだろうか?
 理由は3つだろう。1番目は、上場できていたか否か。2番目は、しっかりとしたビジネスモデルだったこと。3番目の理由は、社内の人間が結束していたこと。危機の時につぶれる会社というのは、外からの風圧や強大なライバルのせいではない。内部崩壊だ。会社から、我先に逃げ出す人間が出てきたり、社内が動揺して混乱し、物事が迅速・的確に決まらなくなって自滅していく。同じ夢を強固に持っていたから、団結することができた。これが大きかった。あらためて、熊谷は、夢や価値観の共有することの大切さを学んだ。


GMOインターネットグループ スピリットベンチャー宣言2005

 

●夢(人生を何に捧げるのか)

インターネットの産業の中で圧倒的"一番"になる。
幸せになろう、成功しよう、"一番"になろう。
私たちにとっての幸せとは、心の平和、満足感、目標を達成した時の喜び。
私たちにとっての成功とは、物・心ともに豊かで、「笑顔」「感動」を産みだしながら、人生を全うすること。
私たちにとっての"一番"とは、他との比較ではなく、自分に勝つこと。

「すべての人にインターネット」

健康・精神・教養の基礎レベル、社会生活・家庭生活の実現レベル、経済の結果レベル、
全てのエリアでバランスが取れた全人を目指そう。
その全エリアにて我々は夢を持つ。
その社会生活=仕事の夢を共有しよう。
仕事の夢は"一番"になること。


●ヴィジョン(宝の山はどこにあるのか)

デジタル情報革命が進行する中で、インターネットのインフラ・サービスインフラすなわちインターネットの”場”の提供に経営資源を集中し、多くのファンの「笑顔」「感動」とその結果としての大きな利益を生む。

●フィロソフィー(何の為に存在するのか)

我々の活動は、新たなインターネットの文化・産業とお客様の「笑顔」「感動」を創造し、社会と人々に貢献する。

●マインド(基本行動原理・原則)

【前提】

◇インターネット産業で"一番"になろう。"一番"になれないことはやらない。
◇夢、ヴィジョン、フィロソフィー、経営マインド、経営計画に賛同出来る人材のみで組織する。
◇デジタル情報革命!! 数百年に一度の産業革命に遭遇したことを認識し、感動し、チャンスをつかもう!!
◇我々がインターネットに初めてつながり、触れたあの時の感動を思い出せ!!
◇世界を見よう、そして新しい技術・新しい価値・新しいコンセプトを全ての人に使い易く便利に提供する!!
◇我々は、「インターネットを広め、多くの『笑顔』『感動』を産む」使命を背負っていることを認識しよう。
◇会社は、社員・株主・お客様、関わる全ての方が幸せになる道具です。バロメーターは『笑顔』です。
◇我々は、物質的・精神的な幸せを掴むチャンスが目の前にあることを認識しよう。
◇人種・国籍・性別・学歴・言葉、全ての差別を排除する。実力本位。

【精神面】

◇スピード経営。ポイント集中。商いは飽きない。
◇S・K・K・R精神を徹底する。
  積極的(S) 前向きに
  協力的(K) 仲間で
  肯定的(K) できるから入る
  楽観的(R) 全てを良い方向に考える(プラス思考)
◇優先順位・優先順位・優先順位。「売上向上・経費節約」、「緊急度・重要度」、2つのマトリックスで考えよう。
◇率先垂範。心が動けば、体も動く。
◇生きているのではなく生かされている。すべてのことに感謝しよう。
◇結論ファースト。
◇GMOインターネットグループの社員は皆ファミリーです。思いやりと優しさを持とう。
◇困った時には早目に相談しよう。相談されたら、わかることを一言でも教えよう。
◇明るく、にこにこ。大きな声。GMOインターネットグループ社員の特徴です。
◇自らが生きている喜びと、感謝され「笑顔」「感動」がある喜びを深く噛み締め理解しよう。

【教養面】

◇企業は人を育てる場所である。
◇比較は知恵の始まり。調査しよう。研究しよう。勉強しよう。不可能は無い。
◇研修・教育を徹底しよう。
◇メモしよう。情報・調査資料・全てのデータはNASAシステムでみんなと共有しよう。情報は分かちあおう。

【目標面】

◇目標とは(1)売上・利益と数値化された行動、(2)スピリットベンチャー宣言の共有、(3)結果としての「笑顔」「感動」で構成される。
◇目標を立て、目標に向かって走る人材で組織する。
◇目標は数字で管理する。数字は毎日確認する。数字は毎日提供する。
◇稼いでいる金額ではなく、目標達成が評価の基準。
◇目標に対して生まれた結果は、達成・未達に関わらず自分の結果として受け止めよう。

【ノウハウ】

◇既成概念にとらわれないコンピューターシステム、テレマーケティングノウハウ、集客ノウハウで運営する。
◇全ての行動にインセンティブゲームの発想を導入する。
◇ターゲットは未開の市場、組織理論・運営ノウハウを蓄積する。
◇組織が自ら動くように、仕組み・ルールを研究しよう。
◇組織力は徹底力、徹底力は組織力。
◇タイムマネージメント(優先順位)ノウハウを導入する。
◇パソコン・パソコン・パソコン、徹底的にパソコン!!
◇効率の良い方法をノウハウ化、ノウハウ集を共有しよう。
◇ゴミ拾い、イス揃え、デスクの上の整理整頓。小さな事こそみんなで行おう。

【可能性を信じよう】

◇変化を楽しもう。あなたは、必ず変化する。人は気持ちで変化する。
◇ファンを増やす為には、まず自らが好きになる。表現力を磨くこと。
◇私達には、自らが解決出来る問題しか起こらない。私達のところに起こる問題は、全て「ちょっと努力が必要な」問題ばかりである。あなたに解決出来ない問題は、そもそもあなたには起こらない。
◇アイデアは組み合わせ。世界初の発明が消しゴム付き鉛筆だったことを思い出そう。

【魅力あるヒトになろう】

◇数字は人気度(=「笑顔」の数)です。ファンを作ること。
◇感情を表現しよう。泣こう、笑おう。全てのことに感動しよう。
◇自分・チーム・会社・グループの目標達成に感動できるようになることが大切。
◇目標達成した人には心から「おめでとう!」と声をかけよう。
◇礼儀を重んじよう。礼儀は形から入り心へ通じる。挨拶・言葉遣い、役職呼称を徹底する。

 

熊谷正寿氏の著書および関連著書

 
・『情報整理術 クマガイ式』 かんき出版
・『20代で始める「夢設計図」必ず“スピード成功”する5つの原則』  大和書房
・『夢手帳☆熊谷式(クマガイスタイル)』
・『図解 一冊の手帳で夢は必ずかなう』 かんき出版社
・ 『一冊の手帳で夢は必ずかなう〜なりたい自分になるシンプルな方法〜』  かんき出版


 

熊谷正寿氏の関連ホームページ

 


・GMOインターネット株式会社
・kumagai.com

 

スポンサーサイト
「ビジネススターの思考が手にとるようにわかる情報があります。」