ビル・ゲイツ:『力は知識を隠しておくことからではなく、分かち合うことから生まれる。』
起業家人名図鑑

あ行
穐田誉輝(カカクコム)
浅野秀則(フォーシーズ)
稲盛和夫(京セラ)
井深大(ソニー)
岩元貴久(ロックノーブル)
宇野康秀(USEN)
小川善美(インデックス)
小倉昌男(ヤマト運輸元)
折口雅博(グッドウィル)
か行
神田昌典(アルマック)
熊谷正寿(GMO)
くらたまなぶ(あそぶとまなぶ)
近藤太香巳(ネクシィーズ)
さ行
斉藤一人(日本漢方研究所)
澤田秀雄(H.I.S.)
鈴木敏文(IYグループ)
関口房朗(VSN)
孫正義(ソフトバンク)
た行
高橋滋(カシータ)
な行
中島武(際コーポレーション)
南部靖之(パソナグループ)
野尻佳孝(テイクアンドギフ・゙ニーズ)
は行
畠中平八(タヒボジャパン)
平野岳史(フルキャスト)
ビル・ゲイツ(マイクロソフト)
藤田晋(サイバーエージェント)
藤田田(日本マクドナルド)
本田総一郎(本田技研工業)
ま行
増田宗昭(カルチャーコンビニエンスクラブ)
松下幸之助(松下グループ)
三木谷浩史(楽天)
森下篤史(テンポスバスターズ)
盛田昭夫(ソニー)
や行
安田佳生(ワイキューブ)
柳井正(ファーストリテイリング)
わ行
渡邉美樹(ワタミ)
・リンク集
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ビル・ゲイツ-マイクロソフト株式会社

 

ビル・ゲイツ氏プロフィール


ビル・ゲイツとは、パソコン用OS「Windows」などで世界的に有名な米国のソフトウェアメーカーであるマイクロソフト社の創業者にしてチーフ・アーキテクト、現会長である。

1955年10月28日、ワシントン州シアトル生まれ。正式な名前はウィリアム・ヘンリー・ゲイツ3世(William Henry Gates 3d)である。

ビル・ゲイツは 19歳の時、ハーバード大学在学中にポール・アレンと共にマイクロソフト社を創業した。1980年代にIBM社によって開発されたパソコン向けにOSを開発する仕事を受託し、その成果としてMS-DOS(Microsoft Disk Operating System)が誕生した。その後発表された、Windowsは、OSとしては世界1位の市場占有率を誇る。アプリケーションソフトも多くが世界的ヒットを記録している

マイクロソフト社は世界的なソフトウェア企業となり、20世紀において最も成功した企業のひとつに数えられるようになった。ビル・ゲイツは現在、個人資産世界一を誇る資産家であり、同時に慈善団体「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」のオーナーでもある(メリンダとは妻の名前である)。2005年3月には、英国女王エリザベス2世から「名誉ナイト」(KBE)の称号を授与された。

ビル・ゲイツは祖母に出来るだけたくさん読書をするように勧められ、何事にも1番になれとチャレンジ精神を起こさせられ、大きな影響を与えられた。また、母のメアリー・ゲイツは強靭な意志、鋭い知性とビジネスセンスを兼ね備えた人物で、シアトルの大企業の取締役会に名を連ね、ユナイテッドウエイの全国委員会で当時のIBMCEOジョン・オペルと知り合いだった。

1967年シアトルの上流階級向けの学校レイクサイド・スクールに入学。
1968年学校が当時のハイスクールとしては初めてコンピュータ室を作り、ゼネラル・エレクトリック社にあったPDPー10を電話回線で使えるようにした。ゲイツはすぐにコンピュータに魅せられた。
1970年ポール・アレンらとレイクサイド・プログラマーズ・グループを結成、ISI社から給与計算プログラム開発を受注。ポール・アレンとトラフォデータ社を設立し、独自に開発した交通量分析プログラムを地方自治体に売り込む。
1972年ケント・エバンスとロジック・シミュレーション・カンパニーを結成、学校から時間割作成プログラムを受注。すぐ後にワシントン大学自治会から時間割作成プログラムを受注。
1973年ハーバード大学入学。
1974年ポール・アレンとアルティア用のBASICを開発開始。
1975年アルティア用のBASICが完成し、ポール・アレンとマイクロソフト社を設立。
1977年ハーバード大学を中退。
1980年IBM−PCのOSと言語の開発を引き受けることになった。

2000/01/14日経新聞夕刊によると
ビル・ゲイツ会長は1月27日付けでCEOの座をスティーブ・バルマー社長にゆずり、新設したポスト「チーフ・ソフトウエア・アーキテクト」に就任することになった。つまり、ソフトウエアの将来を見据えて早めに手を打ってゆくことに専念するということらしい。これはビル・ゲイツらしい決断だと思う。もともと彼は経営なんかよりもソフトウエアそのものに興味があり ”ソフトウエアで生きる”という信念は筋金入りだ。ビル・ゲイツが健在な限りマイクロソフトは百叩きに遭いながらも興隆を続けるだろう。


ビル・ゲイツ氏こぼれ話

 

小さなソフト会社に、お鉢が回ってきた


 80年当時は ゲーリー・キルドールの作ったCP/MというOSがよく使われていた。当然IBMは彼に先に声をかけた。IBM−PC用のOSを提供しないかと。しかしキルドールは当時十分に成功していたため、IBMのその提案の重大性に気づかなかったのだろう。 休暇を返上してまでIBMに付き合おうとはしなかった。交渉は不調に終わり、BASICを販売していた小さなソフト会社にそのお鉢が回ってきたのだった。


ノーネクタイよりも、30分の遅刻を選んだ


 IBMの極秘プロジェクトはBASIC言語のIBM−PCへの移植を依頼するために マイクロソフトに電話をかけた。ゲイツはこのときまだ24歳の若者だった。 彼はIBMからの突然の電話に驚いたがうまく対応するだけのビジネス感覚を持っていた。 IBMは明日にでも打ち合わせに来たいと言っていたが 、明日はアタリ社会長のレイ・カザールとの予定が入っていた。 アタリ社はマイクロソフトにとってビックユーザーだった。 しかしゲイツはカザールとの予定をキャンセルし、IBMを迎え入れた。この対応の差が大きく明暗を分けることとなった。その後何回かの打ち合わせのあと、ボカレイトンでIBMの幹部に提案書を説明する段になったとき、ビル・ゲイツはネクタイを忘れたらしい。普段はラフな格好で髪もぼさぼさ、あまり身だしなみに気を使うタイプではないが、このときばかりはそういうわけにはいかなかった。彼はノーネクタイで行くよりも30分遅刻する方を選んだ。ボカレイトンでの話し合いはうまくいった。ゲイツの一行が与えた印象は上々だったらしい。IBMと組んだことによって、BASICを売る小さなソフトウエア会社は全世界のPCのOSを供給する大会社に発展していく。今日ではマイクロソフト帝国と言ってよいくらい、その影響力はPC世界の隅々まで及んでいる。


 

ビル・ゲイツ氏の格言

 
力は知識を隠しておくことからではなく、分かち合うことから生まれる。
悪い知らせは、早く知らされなければならない。

自分が出したアイデアを、
少なくとも一回は人に笑われるようでなければ、
独創的な発想をしているとは言えない。
会社の価値観や報奨のシステムもこの考えを反映すべきである。

成功の鍵は、的を見失わないことだ。
自分が最も力を発揮できる範囲を見極め、
そこに時間とエネルギーを集中することである。
会社の価値観や報奨のシステムもこの考えを反映すべきである

たびたび、直感が頼みの綱になる。
成功は、 最低の教師だ。

リスクを負わないのがリスク


 

ビル・ゲイツ氏の著書

 
・ 思考スピードの経営 デジタル経営教本
・ ビル・ゲイツ未来を語る


 

ビル・ゲイツ氏関連のホームページ

 
マイクロソフト社

 

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